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俺イズム爆裂ダメ人間コラム

え〜なんでしょうか、基本的にダメ人間なので、たいした事は書きません。いや書けません(笑)。

日々の考察とかなんか色々書いていこうと思います。テーマは無いですし、ただ書きなぐって行くだけです。それでもよろしければお読みください。

しかしながら、ほんとくだらないと思いますよ(笑)。

 
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Vol.003 「歴史および正義についての考察

え〜、まぁなんっつ−かですね。これで原稿っていうか駄文三回目でございますが、相変わらず内容が無いようでスマンコです。何気に昔のダジャレが入っていますが、重ねてスマンコです。まぁ別に良いんですが。世間というか全世界規模でこんなアホな事をのたまっている状況でない事は重々承知しておりますが、深刻ぶってもなんの意味もありませんので、頭の中だけ深刻になっているふりをします。なので文章は相変わらずふざけてます。かさねてスマンコ(もういいね(笑)。

今回のタイトルは歴史および正義についての考察とかいう訳の分からない論文みたいなタイトルなんですが、まぁそれは良いとして、自分が昔書き留めていた物があるのでそれから抜粋しながら色々加味して書いていこうと思います。語尾がである調でしたので書き直しましたけれど、一応私の文章です(笑)。

何事においても歴史というものは非常に重要なものであると私は確信してるんですが、それは何故かと言いますと、それは人の行動全てが反覆であり、また繰り返しであるからであろうと私は考えているからなんですね。絶え間ない戦乱を繰り返しても人は戦いを止めようとしませんし、歴史の合間に恒久的ではないにしろ、一時的な平和があり、それによって堕落・腐敗が生じ、それを正すという大儀名目や権力の奪い合いによって人はまた戦いを始めようとします。結果として規模は違ったりますけど、歴史は繰り返しであり、人は同じようなことを何千年も繰り返してきていると思うんですね。このように考えれば人の世とは儚いものであるし、なんと滑稽なものであるか誰の目にも明らかなんですが、人としてこの世に生を受けた以上、この宿命は逃れられるものではないし、人として生きる上で必要なものなのなんだろなと私は思ってます。

それは、栄枯盛衰の自然の理のごとく、あれほど隆盛を誇ったローマ帝国も滅亡し、黄河文明の発祥からアジアの主導権を握っていた中国がその地位を追われ、日の沈まぬ国と賞されたイスパニアも今は無く、大英帝国と賞された英国の絶大な権力も失われ、ジャパンマネーと言われ、世界の経済を担っていた日本もその原理から外れることが無かったことから見ても、世界の情勢は常に移り変わり動いているのだと言うことを歴史は教えてくれると思います。西暦2001年現在、インターネットがコミュニケーションの主流となりつつありますけれども、一昔前までは電報や書簡が主な伝達手段でありましたし、電話というものでさえ爆発的な進歩を遂げ今のように邪魔にならずに手軽に携帯出来る姿になっております。お陰さまで、この世に存在する全てのものは自然の摂理にしたがった進化を遂げ、常に淘汰され新しい時代に適応するもののみが存在を許されているのかもしれないと思ったりする事も多々あるわけですが、人類でさえ、地球発祥の時代から地球を支配しているわけではありませんし、人間が存在することが自然の摂理にしたがっているわけではありませんから、人類という物が未来永劫存在し続けるとは限りませんし、人類でさえそうならば、社会・組織・国家などは言うまでも無く脆弱な集団と言えるのかもしれないですね。ただ、歴史だけは人類が存在する限り、未来永劫受け継がれるものでありますから、この歴史というものに関心を抱くのは間違いでは無いと私は確信しております。 

文化とは人が持って生まれた感性によって築かれた産物なのかもしれないと最近私は思うようになってきているのですが、文化というものはDNAレベルで祖先からうけつがれ、自分の中の常識や、感性として育っていくものだと私は考えています。私も例外なく私自身の常識があり、私の中で私なりの文化や芸術があります。しかしながら、日本と言う国家に生を受け、今ある地球と言う組織の中の集団の1つである日本と言う国の国民として、伝統的な文化は持たなければいけないと考えていますし、そうしなければ先人が作ってきた歴史というものを捨てることになってしまうと思います。もちろん、人間的な観点から見て、道徳的に反している行為・行動・習慣などは捨てなければいけないし、復活させるべきでも見習うことも誇ることも無いのは当たりまえだのクラッカーなんですが、それ以外の日本人的道徳心や文化、儀式、礼節は消滅させてはならないものだと思っています。これは他文化に生きる人にとっても同様だと思いますし、日本人ほど文化に疎い国民性をもつ人種も少ないので今更言うまでも無いことなのかもしれないですね。

日本という国家は単一民族国家(実際は異なるが)であるから、民族意識の欠落が多く見られるのでは無いんでしょうか。周りに異文化を持つ人類が極端に少ないからこそ、民族の文化や威厳を軽んじる傾向にあるのだと私は思っています。逆に韓国人や中国人の方々、中南米出身の方々や欧米出身の在日の方々は自文化を重んじ、かなり結束のある民族意識を持っていると思います。各地域においては日本人が異文化の民であるから、必然的に日本人同士の結束が固くなっているのは周知の事実です。これは何が作用しているのかと考えたときに、私の中での結論が出たのですが、人というものは自分と同じ価値観を持ち、自分と同じ思想、共感できる思想を互いに持ちえたときに共感するものだから、他民族が雑居している場合には、より感覚の近いであろう同民族を求めるからではないのでしょうか。事実、日本国内においても、県人会なるものが組織されておりますし、同郷と言うだけでかなり親近感が沸いてしまうのは、やはりこのような心理作用のあらわれではないだろうかと私は思っています。この感覚が現日本人に欠けている事が日本という組織の結束を弱め、現在世界的な中心国家として名をはせているアメリカの子飼いと言われるモノとなっている側面は見逃せないと思います。結束の欠乏による自立心の欠如が近年さらに目に付くようになっているのは周知の事実だと思います。 

文化というものを論じるにおいて決して避けられない宗教というものが存在します。世界の三大宗教と言われる、イスラム、キリスト、仏教の他にユダヤ、ゾロアスターなどの宗教もあれば、細部に渡っては数え切れない宗教が世界には存在しています。宗教とは何千年も継続して受け継がれている、地球上に存在する民族以外の組織としては稀有なもので、ある意味国家間、人種間を通り越した共感をもたらすものでありますが、その硬い結びつきゆえに度々戦乱の原因となることも多いです。過去の十字軍しかり、中東戦争もこれの類であります。私は無神論者ですが、宗教の否定もしてません。人にはそれぞれ信じるべき道があり、それぞれに心のよりどころがあり、戒律があるのだと私は考えているからでございます。先に起こったオウム真理教のテロ事件にしても、現代の道徳的には決して許されることではありませんが、もしもあれで世界が変っていたら、彼らは建国の英雄であり、良い意味で歴史に名を残していたのかもしれません。十字軍もキリスト教徒から見れば善ですが、イスラム教徒から見ればただの侵略者ですし、その逆もまた然りです。彼らにとっては意味のある戦いだったのかもしれませんが、権力のあるものが戦いを扇動し、他人から見ればただの悪逆な侵略行為を行ったに過ぎないと思います。モーゼの十戒にしてもそうですが、いくら悪辣(彼らから見ればね)なエジプト兵が追ってきたからと言って、全ての兵士を皆殺しにしてしまえば、観点を変えればただの大量虐殺に過ぎないし、いかにもそれを神聖なる物としている事にも強い疑問を持たざるをえません。史実であるのか、虚構であるのかは私の知るところではありませんが、殺されたエジプト兵にも未来があったろうし、家族があるものも当然いたことでしょう。良く、思想・理念を強く主張するものに限って、他人にそれを強制し、それが命よりも大切なものであると考える傾向にあるようですが、それはその人の自由ですが、強制されるほうははた迷惑なことでしかないし、自分がもしも逆の立場で自分の思想や理念と180度違うことを強制されたらどう思うのか見てみたいものです。集団・組織の中の一部の最高権力者達が、この制度、建前といったものを最大元に利用し、私服を肥やす事を第一に考えているという事実は歴史上の観点からも否定できないと断言できます。だから私はアメリカが大嫌いです(笑)。アメリカについては後に述べますので置いといて、全てがそうとは言わないし、まして断言する事は出来ませんが、大半の権力者がそうなっている事実は否定出来ないと私は考えています。まさしく権力はエゴと欲の温床であり、欲は人間を突き動かす一番強い原動力なのかもしれませんね。私が無神論者・アンチ権力主義者であるのはこういった理由、すなわち他者からの思想・理念の強制が何よりも耐えがたい苦痛である事が強く影響しています。この世に生を受けたからには、何事も自分で判断し、自分で決定し、自分自身の意志によって前へ進みたいと考えているからです。言い換えればコレが私の宗教であり、心のよりどころなんですね。オレイズムですか、っていうかアホですね(笑)。 

先でも述べていますが、歴史とは多方向のベクトルの重なり合いであり、真実はそのベクトル毎に存在するのだと私は思っています。起こった経緯などは常に絶対に1つなんですが、歴史には様々な場面があり、その場面ごとに幾つかのベクトルが用意されていると思うからです。気まぐれや何かの作用で勝者たりえたものが歴史の中で真実として語られ、それ以外は情報操作・報道管制や極秘事項・国家機密などと称されて闇に抹消されていくのが常ですね。このような事が実際に起こっているのだから、今現在の歴史にそれが起こらないはずはありません。事実、たった50年前の第二次世界大戦の際もその時事実として語られたことが今は虚偽になっていることさえあるのだからなおさらです。このような事から、私は全ての出来事というものは分析する際に、より詳細なデータと過去の事例、すなわち人の行動心理を表すものや、その事に関わった人物の人物像、それによって得をする人物や組織、かかっているベクトルの方向と言ったものを多方面から、それぞれに関わっている人物の立場から見ることによって、より詳細で本質に迫った解析ができるのでは無いかと思っています。固定観念や権威主義ほど危険なものは無く、それに固執してしまうことによって物事の本質を見ることが出来ず、後悔したり、流れから弾かれたりしてしまうことになるのでしょう。ガリレオガリレイの話を例に出すのは陳腐な例えかもしれませんが、まさに固定観念・権威主義の陥るところはそれであると私は断言できます。ガリレオの時代、地球は宇宙の中心であり、地球は丸くは無かったし、絶対的なキリスト教権威の中、それの真相を解明するのはTabooでした。が、しかし現在、地球は丸いことが実証され、宇宙、すなわち太陽系ではありますが、その中心が地球ではなく太陽であると言うことが科学的に判明している(多分、実際見た事無いんでね)。当世においては異端のキチガイであっても、後世にとっては賞賛すべき人物になっている人物は少なくは無い。常識とは、その時代の過半数が考え、思っていること、権力者が自分の考えで決めてしまった事が常識なのであって、決して人類始まって以来の常識では無いし、今日の常識は明日の非常識であるのかもしれないんですね。そもそも森羅万象の理であるならばともかく、人間の作ったもの、考え出したものが完全であるはずが無いし、完全になる事などありはしないと思います。昨今の日本の事情で言えば、銀行が倒産し、地価が暴落する事は、つい15年程前には殆ど誰も考えもつかなかったことであることからしても、それは決して机上の空論などでは無いと思います。ゆえに常に流れを見極め柔軟な思考を持ち、物事に対処していく努力をしなくてはいけないと、私は常々思っています。「事実は往々にして隠蔽されるもの」・「一寸先は闇」昔の人はいい事言いますね。

まぁ以上が歴史とかそういうものについての私なりの考察なんですが、次いで正義とかいう訳の分からないファックな定義について書いていこうと思います。正義とは人それそれの内に存在するものだと私は思います。一般的には宗教・国家・組織等、自身が属したものの正義が正義になる事が多いですが、私個人としては正義という観念は道徳上の事だけです。ですので今回起こったアメリカの世界貿易センターとかに旅客機がツッコンだテロは個人的には決して許される事ではないと思います。テロを起こした実行犯・協力者には然るべき処罰っていうか、神の裁きが必要ですね(ホントにいるなら裁くでしょう(笑)。ジハードとか言ってますが、そんなのただの大量虐殺ですし、マホメットさんでしたかね?が生きてれば「ダメよダメダメ」と言ったんじゃ無いんですかね。宗教って権力者とかの良いように改変されていきますからね。と、同様に、今までアメリカ合衆国のお偉方がやってきた越権行為っていうか人の家に乗り込んでしゃしゃり出てって言う事きかせてたツケが回ってきたんじゃないのかとも思います。これも全部その当時の権力者集団が決めた事で、国民の総意じゃないですよね。私はアメリカという国自体は全然嫌いじゃ無いんです。表現は自由だし、治安は悪いし、差別はひどいですが、芸術的なことだったり、スポーツとかにしてもそうですけど、世界中の人種が入り込んでいる雑踏とした国なので、色々なものがミックスされてかなり良い感じだと思いますし、アメリカ人の友人?(オバサン)と接していてもかなり陽気で楽しい人です。私が嫌いなのはアメリカ合衆国権力者集団の提示する「正義」ですね。彼らは世界協調とか世界の警察とかふざけた事をおっしゃられていらっしゃいますが、京都議定書の問題にしても二酸化炭素排出国のトップ3であるアメリカ合衆国は「いやよ、だって石油産業とかコネあるし、お金もらえないと困るじゃん」というニュアンスぶりぶりでブッシュジュニアは脱退していきやがりましたし、弾道ミサイルなんたら構想?にしても、軍需産業のコネで行ってるだけですよね。っていうか、大昔のゴルバチョフとレーガンの軍縮の話はどこにいったんでしょう(笑)。皆さんお忘れかもしれませんが、結構ひどい人達ですよ。他所はガンガン責めるのにね。特に今回のことでも思いましたが、報復報復いってますが、彼らが報復するという事は相手側にとってテロが起こるのと一緒ですよね。しかも何倍かの規模で、関係無い市民を巻き添えにするわけですよ。ベクトルには必ず反作用がかかりますので、過去に自分が行った行為は、何らかの形で自分に必ず跳ね返ってきます。無理やり抑えつければかならず反発されます。私も反発してましたし(笑)。この思想はちょっと仏教的な因果応報って感じのニュアンスもありますが、実体験とかそういうことから自分で思ったことです。いややっぱ昔の人は良い事言いますね(笑)。正義というものは実際には非常に利用されている言葉です。愛国心とかと一緒ですね。誰が国の為に死ねますか?そんな人は実際ほとんどいませんよね。立国時や動乱の時期ならばともかく停滞し衰退の兆しさえ見せる組織の中ならなおさらですよ。だって私は死ねませんもんね(笑)。死ななきゃいけない時、これってリーサルですよね。「命というものは何よりも尊いもの」そう思ったからこそ世界大戦の映像を流すんじゃ無かったんですかね、そう思うからこそ原爆資料館があるんでしょうし、終戦記念日や憲法第九条が作られたんじゃ無いんですかね。私の思う正義とは国家の利権や地位を守る事では無くて強者が弱者を守る事、国家が国民を守る事、国益よりも国民益を優先する事です。戦争が起きれば儲かるのは軍需産業や一部の企業家、権力者だけです。それぞれの国家の国民・市民には何ももたらされ無いでしょう。すなわち強者が提示する正義なんて、利権のともなった偽りのものでしかありませんし、俗言われてる「正義」なんて言葉はその程度のものだと思います。強者の論理ですね。ファックです。